歌舞伎に登場する蕎麦

幌加内はついに冬がやってきました。
新そばをお楽しみいただいているお客様もそろそろ温かいそばが恋しい季節ですね。

雪暮夜入谷畦道

前回も紹介した書籍『粋を食す』の中に「歌舞伎と蕎麦」という項目がありました。
江戸時代、庶民に大人気の娯楽であった「歌舞伎」にこれまた庶民に大人気のそばは数多く登場しているようです。
その中でも舞台上にそば屋の店内がそのまま展開される「雪暮夜入谷畦道(ゆきのゆうべいりやのあぜみち)」という演目が紹介されています。

悪事に手を染めた御家人・片岡直次郎が追われる身となり、これが最後かもしれないと江戸を去る前に恋人である遊女・三千歳に会いに行く途中にそば屋へ立ち寄ります。
三千歳は吉原の大口屋の寮(別荘)で病気療養中。
タイトルからも想像できるように、時刻は夕暮れ後の雪の降る夜です。

豊原国周 「梅幸百種之内 直侍 尾上菊五郎」(東京都立図書館 蔵)

そば屋のセット

この演目では、舞台上に質素なそば屋の室内が用意され、二人の男がかけそばをすするシーンから始まります。(この二人、実は直次郎を追っている捕り手)

間口が二間半、入口に向かって左に一間の出格子(でごうし)。その上に掛け行灯があり、「二八蕎麦」と書いてあります。その右が入口で、腰障子にも大きく「二八」と書いてあります。入ると、三和土(たたき)の土間。その左手が釜前(かままえ)になっていて、銅壺に湯がたぎっており、その後が、蕎麦道具を収めた箱前(はこまえ)になっています。
座敷は、一尺ぐらい上がってしつらえてあり、幕が開くと、二人連れの客が、上がり框に腰をかけて、かけ蕎麦をすすっています。座敷には、手焙(てあぶ)り、衝立(ついたて)と行灯などの道具類が置かれ、舞台正面の壁には連(品書き)が貼ってあり、向かって右の壁には、暦が貼ってあります。

粋を食す 江戸の蕎麦文化 著:花房 孝典|株式会社天夢人

舞台セットの様子は、こちらのサイト(歌舞伎の舞台名所を歩く 入谷鬼子母神『雪暮夜入谷畦道』)のページ後半に『歌舞伎定式舞台集』からの引用として、詳細な設定画が掲載されていて、様子がよく分かります。

ほかにも歌舞伎座や明治座で上演された際の舞台の写真を「文化デジタルライブラリー」で見つけることができました。

この舞台のそば屋の外観では、入口の障子に「二八」と書いてないみたいですね。
(先述の『歌舞伎定式舞台集』の設定画には障子に「二八」と書かれた様子が確認できます)

粋な食べ方

二人連れの客が出て行って入れ替わりに直次郎が店へ入ります。
直次郎は最初「天で一本つけてくんねぇ」と天ぷらそばとお銚子を1本頼みますが、時間が遅く天ぷらはもう終わってしまったと店主に言われ「それならただのかけでいい」とかけそばを注文します。
運ばれてきた酒を手酌で一杯ぐいっと飲み干し、そばを手にします。

丼を手に取り、
「フウフウフウ……」
と三度吹いて、やおら、スルスルッと手繰り込みます。蕎麦は、六角の小ぶりな丼に入っていて、こちらも本格です。

粋を食す 江戸の蕎麦文化 著:花房 孝典|株式会社天夢人

直次郎は粋で格好の良い男として描かれており、そのそばの食べ方も江戸の粋を表現しています。

前半の「入谷蕎麦屋の場」では江戸の粋の象徴として、蕎麦の演出が巧みに使われています。
江戸のカッコいいそばの食べ方は「蕎麦をたぐる」などの言い回しにもあるように、ズズッと音を立て一気にすすりこむのが粋とされていました。
たっぷり汁につけたり、だらだらと食べるのは野暮なのです。

「入谷蕎麦屋の場」においても追手たちがなんやかやとしゃべりながらズルズルだらだらと蕎麦を食べていたのに対して、直侍は目にもとまらぬ速さでズズッ!ササッ!と平らげてしまいます。

やさしい直侍 その一 蕎麦の食べ方も「粋」に – 歌舞伎ちゃん 二段目

最初は捕り手の二人。一度にがばっとすすって野暮な食べ方。丈賀さんは、「熱々にして」と注文をして、ふーふー食べます。直次郎は、2.3本たぐって、すすっとかっこよく食べます。いずれも、直次郎をかっこよく見せるための細かな工夫だとのこと。

雪暮夜入谷畦道(ゆきのゆうべいりやのあぜみち)~直侍 – 「初めての歌舞伎を楽しもう」munakatayoko’s blog

ここで登場している丈賀という人は、大口屋さんに出向いて施術している按摩さんで、そば屋の常連さん。
熱いそばが好きな人です。

直次郎は粋で男前、そばの食べ方も格好良い!というのを他の出演者との対比でうまく演出されています。
ところで直次郎、どのくらいイイ男かというと、こんなエピソードが語られるくらい(笑)

三千歳のモデルになった人が長生きをして、五代目菊五郎の「直侍」を観て、「(本物は)もっといい男だった」って言ったというエピソードも好きです。

雪暮夜入谷畦道(ゆきのゆうべいりやのあぜみち)~直侍 – 「初めての歌舞伎を楽しもう」munakatayoko’s blog

消え物

ところで、この舞台上のそば屋で役者さんが食べるのは本物のそばなのだそうです。
歌舞伎のことはあまり知らなかったので、舞台上でそばを食べるシーンといえば落語のイメージが強く、「上手な食べたふり」をするのかと思っていたのですが、歌舞伎の舞台では本物のそばを食べるそうです。

こういった舞台で食べる食べ物などは舞台用語で「消え物」とよばれる小道具に分類され、そばは本物を使用するみたいですが、お刺身などは羊羹で作るのだそうですよ。へぇ~!

歌舞伎用語案内「消え物」(舞台上で尾上菊五郎演じる片岡直次郎がそばを食べるシーンの写真も掲載されています)

抜群の宣伝効果

この舞台、何といっても、舞台で本物の蕎麦を食べるのが値打ちです。その食べっぷりが、いかにも江戸前で、観客に思わず唾(つば)をのみこませるのが、役者の手練です。前出『そばやのはなし』には、「ここでいろいろありまして、直侍(直次郎のこと)も丈賀もそばを食べるのですが、これが又役者とは言え上手におそばをすすります。あついおそばの丼をはじからぷうっと吹いておつゆをちょっと吸い、そばを箸で一ぺんあげてまたぷうっと吹いてするするっと食べます。外は雪、舞台も客席もしいんとして、そばをすする音だけが舞台にひびきます。お客もつられて思わずごっくりとつばを呑みこみます。まことにありがたいことで、この芝居が掛ると近所のそばやが繁盛いたしました」とあり、また、永井荷風も、明治四十四年(一九一一)二月五日に、深川座でこの芝居を見た後、蕎麦を食べに行ったと書き残しています。そんなわけで、芝居の帰り道、こらえきれずに蕎麦屋の暖簾をくぐったお客も多かったことでしょう。

粋を食す 江戸の蕎麦文化 著:花房 孝典|株式会社天夢人

テレビ番組の合間に流れるコマーシャルみたいなものですよね。
「あついおそばの丼をはじからぷうっと吹いておつゆをちょっと吸い、そばを箸で一ぺんあげてまたぷうっと吹いてするするっと食べます。」というところは「ぶうっ」という表現の面白さに気を取られてしまいつつも、「ぷうっ」ズズッ、「ぷうっ」スルスルッというリズムがリアルでなぜか分からないけどそば食べたくなってきます。

そして、先ほど登場した丈賀さんもコマーシャルの一端を担っているようです。

丈賀「ムム、こら滅法熱くて旨い、旨い。ここの家はだしがいいから、他の家じゃあ食べられませんよ」
さらに、
丈賀「ハハ、わしは虫が好くというのか、この匂いがプーンと鼻へつくと、食べずにゃあいられないのさ」
仁八(二八にかけたであろう名前のそば店店主)「本当の蕎麦好きなんだねぇ」
丈賀「山下から坂もとまで、いい蕎麦屋は幾らもあるが、どこの家も盛りが悪く、味はチィーット二番だが、盛りのいいのはここに限る」

粋を食す 江戸の蕎麦文化 著:花房 孝典|株式会社天夢人

若干辛口な丈賀さんですが、出汁の”香り”に惹かれてそばを食べに来てしまうようです。
丈賀さんは按摩さんですので、視覚に障害のある方です。出汁の「香り」を強調するのも納得です。
店の外の通りに漂うそばの出汁の香りをより鮮明に感じるがゆえについつい食べたくなっちゃうのだと分かります。

|*´꒳`*) 。o ( そうだよね~、店の外にも湯気や香りが漂ってるよねぇ)

寒い雪の降る夜に障子の隙間からあたたかい湯気とともに漂ってくる出汁の香り、そばの茹で釜からは上がる湯気からはそば湯の香りも混ざっていたのだろうなぁ…
なんてその情景を思い浮かべたりしたら…腹の虫がキュルルルル。
芝居を見たわけでもないのに、ついついお腹が反応してしまいました///

「店主!そばかま天そば* ひとつ!」

(*そばかま天そばは、そばの実入りのかまぼこを天ぷらにした霧立亭限定メニューです)

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