
6月といえばツユ
6月ですね。
皆さま、お気づきでしょうか、もうすぐ2025年も半分が終わろうとしているということに…
近年では、成人の1/2の年齢である10歳を迎えた記念に「2分の1 成人式」を小学校の行事として行うことも少なくないそうですが、それにならって、6月の晦日蕎麦を「2分の1 年越し蕎麦」と呼んで商業ベースに載せられないかと企んでいます。(ウソです)
それはさておき、6月と言えば、梅雨の季節です。
基本的に北海道には梅雨がないと言われていますが、本州のそれと比べると比にならない程度ではありますが、肌寒くぐずついた天気が続く、いわゆる「蝦夷梅雨」と呼ばれる時期はあります。
梅雨….
つゆと言えば、そばに欠かせないのが「そばつゆ」です。(そうくると思った)
でも昔のそばつゆは今とはちょっと違ったものでした。
醤油がなかった時代のそばつゆは、味噌だった

江戸時代初期、17世紀ごろ。
そばが町に広まり始めたこの時期、今でこそどこにでもある醤油は、江戸ではまだとても貴重な調味料でした。
当時の醤油は上方(京都・大阪方面)から船で運ばれてくる輸入品のような存在で、当然高価で庶民が気軽に使えるようなものではなかったのだそうです。
それではその時代、人々はそばをどうやって食べていたのでしょうか?
実は、味噌を水で溶いて漉す「垂れ味噌(たれみそ)」や、垂れ味噌に鰹節を入れて煮詰めて漉した「煮貫/煮抜き(にぬき)」というものが主流でした。
江戸時代初期『料理物語』にみるそばつゆ
江戸時代初期、1643年(寛永20年)に刊行された料理本『料理物語』では、そばつゆについては「汁はうどん同前」とあり、うどんには「汁はにぬき 又たれみそよし」と記されています。
生垂(なまだれ) | 「味噌一升に水三升入、もみたてふくろにてたれ申候也」 味噌一升を3升の量の水で溶いて袋に入れてポタポタと漉したもののこと。火を入れない。 |
垂味噌(たれみそ) | 「 みそ一升に水三升五合入、せんじ三升ほどになりたる時、ふくろに入たれ申候也」 味噌一升を三升五合の水で溶き、三升になるまで火にかけて煮詰め、その後漉したもの。 |
煮貫/煮抜き(にぬき) | 「味噌五合、水一升五合、かつほ二ふし入せんじ、ふくろに入たれ候、汲返し汲返三返こしてよし」 味噌五合に水を一升五合入れ、鰹節を二節いれて煮詰め、何度か漉したもののこと。 |
江戸時代前期『本朝食鑑』にみるそばつゆ
江戸時代前期の本草書『本朝食鑑(ほんちょうしょくかがみ)』(1697年、人見必大 著)では、蕎麦に関する記述の箇所に、
滌浄漉水、而食之用汁、
其汁用味噌水垂汁一升好酒五合拌匂、煮乾鰹細片四五十銭者半時許、不宜慢火宜緩火、煎熟以塩溜漿油而調和之、以再温為要
(現代語訳)
茹でた蕎麦を洗って水を切り、つけ汁につけて食べる。
この汁は、味噌水(煮抜き・なまだれ)一升に良い酒を五合混ぜ、鰹節の細切れ40~50銭分を入れて半時(30分)ほど煮る。
火加減は強火ではなく、弱めの火が良い。しっかり煮て、塩、醤油で味を調える。
食べる際には温め直すのが望ましい。
と記されており、味噌ベースの煮ぬき汁で食していたことが分かります。
『料理物語』と違うのは、煮ぬきの最後に「塩や醤油で味を調える」ところ。直接醤油でつゆを作ることまではしていないものの、醤油で味を調える程度には使用するようになっているのが分かります。
江戸時代中期『蕎麦全書』にみるそばつゆ

江戸時代中期(1751年)になると、当時のそば事情を詳しく記した『蕎麦全書』が現れます。
著者はその名も日新舎友蕎子(にっしんしゃ ゆうきょうし)。今で言うところの「蕎麦のインフルエンサー」であることが一目で分かるペンネームです。

同書では、先述の『本朝食鑑』の煮ぬき汁を紹介していますが、他にも著者、日新舎友蕎子の自家製のつゆの作り方が書かれており、ついに醤油ベースのつゆが登場します。
家製蕎麦汁之法
醤油一升
手作り醤油の至極念を入れたる物よし。若手造りなき時は、下りの醤油の上品を用ゆべし。近年、地醤油によろしき物あり。しかし下り醤油には及ばず。下り醤油にも種々有と云え共、▲此印の物極上、地醤油にては■此印上品なり。土浦大国屋と云者造り出すと云。
(中略)
上好酒 四合
水 四合右三品緩火(ゆるび)にて半時斗(ばかり)もそろそろと煎じ合するなり。家製の汁には鰹節を入れず。常に精進汁也。若腥汁(なまぐさしる)を好む人には鰹節土佐より出る上品の能枯れたる物の内、心の宜敷処斗り四五十目、水を一升入、緩火にてそろりそろりと煎じ煮詰め、鰹節の味ひなき迄煎じ出すべし。是を右の汁の中へよきほどに加へ入るべし。
家製は其汁塩甚からし。大根のしぼり汁を多く加入するを好む故也。人を招きて進る時は、人々の好悪同じからざるものなれば、其宜敷に随て可也。爰には家製の一通りを記す而已(のみ)。
(現代語訳)蕎麦汁を自家製する方法
醤油一・八リットル。自家製の十分に念を入れて拵えたるものが良い。もし手作り醤油が無い場合には、関西から下ってきた下り醤油の上級品を使うとよい。近頃では、関東でできた地醤油の中にも良いものがある。しかし、下り醤油には及ばない。下り醤油にも様々な銘柄があるが、その中でも「▲」という印の醤油が極上である。地醤油では「■」という印のものが良く出来ている。土浦の大国屋という蔵で造っているということである。
(中略)
上物の好い酒 七二〇ミリリットル
水 七二〇ミリリットル以上の三品を混合し、トロ火で1時間ばかりそろそろと煎じてなじますのである。我が家の汁には、鰹節は入れない。いつも精進汁である。もし、なまぐさ汁が好きな人には、土佐で作られた鰹節の、良く枯れた上物の上皮を取り去り、芯の良いところだけを一五〇~二〇〇グラム削り、湯一・八リットルに入れ、トロ火でそろりそろりと煎じ煮つめ、鰹節の味がしなくなるまで煮沸し続けるのである。この出汁を右の汁の中へ、適当に加え入れるのである。
我が家の汁は大変に塩辛い。大根の絞り汁をたくさん入れて薄めるからである。人を招いて蕎麦をすすめる時には、人々の好き嫌いは同じではないものであるから、その、好みにしたがって差し支えない。ここには、我が家の製法の一端を書き記しただけである。
文中の記号凡例(屋号商標、挿入画像参照)
▲:山形の下に「十」
■:六角亀甲の中に「大」
煮ぬき汁とはどんなものなのか
こうなってくると俄然興味がわくのが、味噌ベースのつゆ、煮ぬき汁の味です。
世の中には向学心と行動力を併せ持つ方々が多くいらっしゃるようで、ちょいとググればあちこちで再現されている記事を拝見することができます。
煮ぬき汁の再現レポを読めるサイト
どれも基本的に「おいしい」ようです。また、想像よりもかなり味噌感は薄く、思った以上にいつものめんつゆだ!という感想が印象的です。味噌汁のゴリゴリに濃いようなものをイメージしていましたが、そうではなさそう。
ますます気になりますね。
自作するのはさすがに敷居が高いけれど、ちょっと試してみたい気もする…
実は、煮ぬき汁として販売されている商品があるようです。

いつか試してみたいです!(今回は…送料で諦めました;)
醤油の登場とそばつゆの変化
18世紀以降、江戸近郊の銚子や野田などで濃口醤油の生産が本格化し、手頃な価格で醤油が手に入るようになり、そばのつゆも味噌ベースから醤油ベースへと大きく進化していきました。
先述の日新舎友蕎子の『蕎麦全書』が1751年発刊となっていますので、醤油ベースの、今とほぼ同じそばつゆが登場してからゆうに300年以上が経過していることになります。
今となっては当たり前のように感じる「醤油のそばつゆ」ですが、その背景にはそばを愛する江戸の人々の試行錯誤があったのですね。
おまけ)うわ!こんなところになんという動画が!!!
梅雨→つゆ→煮ぬき汁というダジャレネタからあっちゃこっちゃ調べてググり倒し、ここまで記事をまとめたときに何やら気になる動画があることに気づいて、チェック!
ぎゃっ(゚Д゚;ノ)ノ なんという神資料!!!
こんなところにこんなカンペのようなものがあったとは…
先に知りたかった…… il||li ○| ̄|_
しかも…あんなに頑張って調べのに、ここからパクったかのような構成になっていて凹みます(´;ω;`)
まぁ、江戸時代の食文化を調査すると参考文献はこの3つになるのはしょうがないのかもしれないですが。
しかし…まるで昭和の録画?と思わせる凝った作りの動画でちょいちょい遊び心満載の面白イジりを加えていて、クスクス笑いながら見てしまいます。
「味噌は沸騰させたらいかんのだ症候群の皆様が発狂しそうなレシピでございますね」とか、バチウケます(笑)
こちらでも煮ぬき汁は味見の段階で「味噌感はほのかに感じるけど、鰹のすんごい旨みでかなりおいしい。たれとしては完成されている。これでそば食うと絶対旨い!」という評価です。
また、煮ぬき汁と合わせて、日新舎友蕎子の自家製醤油ベースのつゆも試されていて、「まじか!エグいな!メッチャ旨い!」と急に昭和に令和の人がタイムスリップしたかのような状態になっていました(笑)
面白いのでぜひ見てみてください!